佐々木宏 - 後編

佐々木宏さんインタビュー、前編では八丈島や本土での仕事、島に帰ってきてからのお話などをお聞きしました。後編では青ヶ島の人々の暮らしや教えなど、未来に残したいお話を聞くことが出来ました。

宏さん:ちなみに青ヶ島で一番人口が多かったのが明治14年で、800人も住んでたのね。
この小さな島でなんで800人も生活できたかというと、青ヶ島の人は、助け合いの精神があるからだ。
得たものは1人で食べないんだよ。例えば魚が獲れても、お互い物々交換をして、分け合って生活するような食生活の文化が根付いてるから、誰1人餓死者を出したことないんだ。

「人にあげるものは良いものをあげる」という精神もあるね。自分のところには質素なものを残しながら、人には良いものをあげる。お互いそうだからさ。生活しやすいし、お互いに助け合いができるの。
例えば麦を撒くにも、共同でないとできないから、みんな組合を作ってね。1人じゃできないけど10人の組合があれば何でもできるじゃん。そういうのも助け合い。それでまた集落で切磋琢磨して盛り上げてきたからすごい良かったんだよ。
娯楽があったかどうかというと、楽器はないけど手拍子で歌を歌ったり踊ったりしたんだ。そうやって何がなくても、みんな仲が良ければさ、色んな楽しみ方ができるわけじゃん。

加絵:神主もやってらっしゃいますね。

宏さん:お袋が巫女さんだったから。あるときにお袋がね、カミソーデ(入巫儀礼)しろって言うんだよ。俺神つかないっていうのにさ。(※神が憑く者がカミソーデを受け正式な巫女や社人になりカミサマ拝みという祈願や様々な神事を行う)
今はもう誰もやってないじゃない。青ヶ島っていうのは本当に素晴らしい歴史もあったりさ。歌知ってる?デイラホンの歌。

(♪デイラホンの歌 歌う) しねおれ~でいらほん
てところでもって死んでいくんだこうやって。(倒れていく)

(♪デイラホンの歌 歌う)生きおれ~でいらほん
歌にのせて、巫女さんたちがセンスで煽ってさ、起こすんだよ。

これは逝って死んだ者が生き返るっていう、まぁありえない話なんだけど、子供の教育でもあったんだよ。この神事のときには大里神社に全員連れていかれたんだから。

朝日を拝む人はいるけども、夕日を拝む人はいないと。それは逆なんだと。後光を受けてね、仕事させてもらって、夕日に感謝する。そうやって感謝の恩をすれば、必ずまた生き返ってくるから、ということなんだよ。お世話になった人の恩を忘れるなよと。その人の恩を忘れないでちゃんと行動すれば、お前にも必ず良いことがあるんだからっていうね、教えなんだよ。
残念ながらね、もう踊れる人はいないけど。ところがネットで言うと、青ヶ島民謡と書いてんだよ。民謡じゃねんだよ。だって民謡なんて誰もが歌うような歌じゃん。これは神様だけだから。

加絵そうなんだ…私も実際にみたことはないから、こうやって語り継いでいくことが大事ですね。今までで一番辛かったことをお聞きしてもいいですか。

宏さん一番辛かったことって、78年も生きてるから色々あるんだろうけども、村長だった平成6年に大千代港の道路が崩壊したんだけど、それは辛かったな。あれね、村道なんだよね。村長ってほら管理者なんだよ。それで、10日間捜索をやったんだよ。レスキュー隊が夜間引き込みしてくれて。毎日毎日、もう眠れない夜が続いた。早く、でもどんなことがあっても、時が、時間が解決してくれるだろうなと思いながら。ただなかなか見つからなかったんだけど。3名亡くなったんだ。
亡くなった方の内地の実家まで挨拶に行って、もう泣かれて泣かれてさ。いやあ……苦しかったね。
本当に酷い事故だったから、苦しかった。他には辛かったことなんかないよ。

加絵そうだったんですね・・・では、今一番楽しいことは何ですか?

宏さん歌を歌ったりすることかな?ライブもするんだよ。
あとはうちの母ちゃんは亡くなったけども、民宿(マツミ荘)やってるからお客さんが来てくれるし、居酒屋に行って歌えばみんな来て、元気になる。健康だよ。俺怪我しないもんな。いつまで生きるんだろうと思うんだけど。入院したことはあるけど、みんなが「やっぱり宏さんがいないと、寂しい」って言ってくれて、そう言ってもらえるだけでもありがたいよ。また歌聞きたいって言ってくれてる人たちと来年のライブの相談もしてるよ。新しいマイクも買ったんだから。


加絵今年も忙しくなりそうですね!

宏さん休みなしだよ。でもしょうがないよ、宿だって青ヶ島は限られてるからやってかないとね。

加絵青ヶ島の未来について、思うことはありますか?

宏さんんで青ヶ島が無人島にならなかったのかっていうと、頑張った人がいるからだ。人口はまぁギリギリではあるけども。今も若い子たちも帰ってきてるからさ。若い子達は逆に何で帰ってきたのって聞きたいくらいだけど。
大島でも八丈島でもどこでもそういう状況だけど、ちゃんと変えるところは変えていって、自分たちが便利に使えるようになるのはもちろん、将来の青写真を描いて、若者に夢を持たせるのが大事だよな、うん。