山田アリサさん - 後編

前編では劇団時代のお話を伺いいました。
後編では山田アリサさんが運営を務めている青ヶ島製塩所について伺いました。

加絵:今製塩所をやっていると思いますが「ひんぎゃの塩」を始めたのは?
 
アリサさん:塩を始めたのは、多分娘が保育園だったか、小学校に入っていたかの時。
最初は友達に付き合って行ったことがきっかけで、その時は合わない仕事だと思った。だから興味なかったんだけど、釜場の人員募集が出た時に、ある男の人が行ったけど1日で辞めたって。それでなんかすごい興味が湧いちゃって。男が1日で辞めるってどんな仕事よ」って思って。それで興味を持って、その時に「はい」って手挙げて。怖いもの見たさで。自分には専業主婦も向いてないと思っていたから。
 
釜場の仕事は確かにしんどかった。でも慣れた。だんだん仕事のペースが変わってきて、ある時塩の作り方のリズムを変えたのね。そしたら以前より量がとれるようになった、ところが環境は何も用意されてなかったから、塩の入れ場がないわけよ。そこら中の入れ物という入れ物に塩を入れて、それをとにかく脱水機かけて。働くのは嫌いじゃないんだよね。好きなんだよね。しんどかったけど。

 
加絵:今何年やってますか?
 
アリサさん:平成16年頃から釜場で働きはじめ、令和4年だから、19年位経ったかな。私の運営になってからは多分10年ぐらい経ったんだと思う。すごく儲かるわけじゃないけど、でも、一番良かったのは、人を雇用できる、雇用し続けられてることに感謝。
 
加絵:今まで働いている期間が人によって違うから、もう何十人も来たり、それに関わった人がまた旅行に来たりとか、青ヶ島の人口や観光に来る人の人数にも影響力がありますよね?
 
アリサさん:内地からこっちに住みこみで働きに来てくれた人は、今の女の子で26人目。やっぱり若い子だと、私は「もっと旅しなって」言っちゃうね。
 
加絵:あ~色んなところみてほしいよね。
 
アリサさん:うん、言っちゃう。「別に急がなくていいよ」って言っちゃう。あと今の青ヶ島自体が、まだ、例えばいろんな働き口があったりとか、生業を作れているわけじゃないから、それはやっぱりもうちょっと島の人間がどうにかしていかなきゃいけないかなって。今まで何人もの子が、「できればここに住みたいな」とか、「ここの土地いくらですか」とか関心があったんだよね。あと多分二年に一回とか、ちょっと来たいと思っている人もいるし。その人は例えばWebで内地の仕事をする住み方になるけど。青ヶ島自体は、「島に居たいな」って思った人って少なくなかったと思うから、だからそういう意味では可能性あるなって思うんだけどね。

 
だけど住みたい人が簡単に住めないから、そういうのがちょっと勿体ないなっていうか、悲しいよねって思う。これだけ海が好きで、青ヶ島の自然が好きで、こんなに「ここに居たい」って思ってるのに。ここの不便さも分かってて「住みたい」っていう人の気持ちってどれだけかけがえのないものか。変な話、人のその土地に対する愛情はお金を出しても買えないから、もったいないよね。
 
加絵:あと、今までで一番辛かったことは何ですか?
 
アリサさん:そうだなぁ。やっぱ人が死ぬことかな。
 
加絵:仕事とかで辛かったこととかもそんなにない?
 
アリサさん:あ~仕事?だって仕事とかどうにかなるじゃん、辛い時があっても。人が亡くなるのはどうにもならないじゃん、会えないし。人間がどうしようもできないことだから余計悲しいかな。
 
そうだな、悲しかったこと。多分なんかね、仕事とかはね、辛い時もあったかもしんないけどあんまり覚えてないね。無我夢中できた。無我夢中。
 
加絵:生活もそんなに辛いとかはない?
 
アリサさん:生活は、そうだな。行きがかりだけど、この島留学やり始めたじゃん。これはすごくやっぱり私にとっては良かったみたいで、別に今まで寂しいとかって思ったことなかったし、ひんぎゃの塩さえやらせてもらえればと思ってたのが、自分の中に空洞があったんだなって。その空洞に子供たちがガチってハマったの。疲れるけど、疲れるんだけど、楽しい。

 
あと、島留学の子たちが来る前に、ああそうだ私の中学生の時ってどうだったっけって思い出したら、大人が大っ嫌いだったのよ。それを思い出した時に愕然となってしまって、もう会う前から敵じゃん私!みたいな(笑)。確かに敵にもなるんだけど、やっぱり真っすぐだから、全部とにかく話し合いになるんだけど、その話し合いの時の、子供たちのエネルギーは半端じゃないなとか。で、何度話してもやっぱりそれがストンって納得するまでは、もう何回も何日も話し合い続けるの。から、あの子たちと暮らしたのはすごく良かったかなって思う。
 
加絵:アリサさんにも影響があったんですね。
 
アリサさん:意外にも。すごいあったね、あの子たち。本当にね、空気の色を塗り替えてくれたっていう感じかな。なんかあの子たち来た瞬間に、家の中の全てが生き生きとしたの。それで、今までそうじゃなかったんだって知ったっていうか。
 
加絵:すごいそれはちょっとなんか怖くなる、怖いことだね。それ気付いちゃうと、なんか変わる…
 
アリサさん:ただね、ほら、全部子供たちは違うし、次に来る子たちは分かんないし、いつか「やっぱり駄目です私」ってなるかもしれないし、分かんないんだけど、でもとにかく今は行かせようと思ってくれた親御さんとか、来ようと思った本人たちに対してありがたいなって思う。
 
青ヶ島に子供はいた方がいいって思ったから、やっぱこれを青ヶ島の事業に繋げていきたいって思う。やっぱりこういうところで学校に通いたいって子たちって絶対いるっていうのも分かったし。

 
だから思うよ、あの、子供は本当は親のそばで暮らしてるのが一番だと思うんだけど。その1年の勉強、体験っていうの。それって、青ヶ島でしかできない体験ってあるから、それはここの宝物として、どんどん磨き上げれば、絶対青ヶ島は、青ヶ島への島留学もブランドになる。絶対になる。

加絵:「島留学」はこれからも継続しますか?
 
アリサさん:やりたいと思ってます。
 
加絵:じゃあ最後に、青ヶ島の若者たちに一言お願いします。若者って広い意味、私も含め。後輩たちに。
 
アリサさん:全然あんまり話す機会とかもないし、もうないかもしれないなって思ってて。
それはそれでいいかなっていうか、しょうがないかなっていうのもあるんだけど、青ヶ島の160人の中のいろんな人の考えっていうのを知った方が良いかなっていうのはある。若い頃って、私がそうだったんだけど、「この人こうだよ」って決めつけちゃったりするのよ。
 
それが私、年を取るとともに、あと仕事のせいもあって、変わってきたなって。だから若い時の私より今の私の方が全然柔軟だし、人の言葉にも前より耳を開けるようになった。だから、もしかしたら若さゆえに、自分の考えで突っ走ったり突っ張ったりとかっていろんなことがあるかもしれないんだけど。そうだなぁ。でも1人より2人、2人より3人。やっぱ自分以外の人と暮らしたり生活を築いたり、あるいはその中で子供が生まれたり、そういう中で多分変わっていくから。だから何度別れたって付き合うべきだし、離婚したって良いからって言うと怒られちゃうけど、結婚すべきだし、そういういろんなことをここで叶えていってほしいなって思うな。そしたらきっと、もしかしたら、「お、山田アリサってやつがいて離婚してたけど、あいつもこんな時あったかな」とか、なんかふとさ、理解してもらえるかもしれない
 
加絵:恐れずに経験しろということですね。
 
アリサさん:そう思う。
 
加絵:ありがとうございました。