佐々木加絵 - 前編

東京都にありながら、人口たった168人の離島・青ヶ島。360°の絶海や、世界的にも珍しい二重カルデラなど、魅力いっぱいの青ヶ島を深堀りし、島に暮らす「ヒト」に焦点をあてたWEBメディア「アオガミライ」が2022年に誕生しました。その運営をするのが、青ヶ島生まれ&育ちの佐々木加絵さん。


今回は、そんな加絵さんの気になる生い立ち人生観に、かねてから交流のある共感系インフルエンサー“頬骨ちゃん”にインタビューしてもらいました。


頬骨ちゃん:本日はどうぞよろしくお願いいたします。

早速ですが、加絵さんはいま青ヶ島に住んでらっしゃるんですよね。人口166人の島民の中のひとりとして生活していらっしゃって、Youtubeで「青ヶ島ちゃんねる」も配信している。すごいですよね、登録者数も現在9万人越え。


加絵:始めてから2年くらい経つのかな。需要があったんですね~。


頬骨ちゃん:私も以前から島暮らしや離島に興味があったのですが、実際にそこに住んでいる方と接する機会がなくて。今こうして加絵さんに直接お話を聞けることが嬉しいです。


加絵:私も話したかったので嬉しいです。


頬骨ちゃん:では改めて、加絵さんの基本的なプロフィールをお伺いします。まず、お名前と年齢をお願いします。


加絵:佐々木加絵です。39歳になりました。


頬骨ちゃん:え、嘘!? まったく見えない…。Youtubeとか、どう見ても20代にしか見えない 

です。


加絵:いやいや、画面越しでいい感じにボカシが利いてるのかもしれません(笑い)。


頬骨ちゃん:美容の秘訣とかはありますか?


加絵:いやぁ、どうでしょう。青ヶ島にアシタバっていうその辺に生えてる山菜があって、普段よく食べているんですが、抗酸化作用があってアンチエイジングに効くみたいなのでその効果かもしれないですね。アシタバドリンクみたいなの売ろうかな(笑い)。


頬骨ちゃん:飲みたい…。すごく説得力があります。


加絵:青ヶ島の女性は元気な人が多いんですよ。メンタルや意志が強いというか。


頬骨ちゃん:へぇ、そうなんですね。家族構成をお聞きしても?

加絵:今いるのは母と、下にきょうだいがいます。私は四人兄弟の長女で、下に次女、弟が2人。東京にいる次男のほかは全員青ヶ島に住んでいます。みんな最初から戻るつもりじゃなかったけれど結局青ヶ島に戻ってきていますね。長男は一応、親の家業を継ぐつもりではあったみたいですけど。3年前に父が亡くなったのをきっかけに、私と妹は戻ってきました。


頬骨ちゃん:大家族なんですね。どんな子ども時代を過ごされたんでしょうか。


加絵:子どもの頃から15歳まで青ヶ島に住んでいたのですが、大人しくて手が掛からない子どもだったみたいです。一人で静かに絵を描いたりしていたので、居るか居ないかわからないくらいだったそう。同級生は4~5人いて、鬼ごっことかドロケイとか氷鬼とかで元気に遊んでいました。


頬骨ちゃん:遊びとしてはスタンダードな。青ヶ島ですし、立ち入り禁止区域などはありましたか?


加絵:あったんでしょうが、同級生が男の子しかおらずみんなやんちゃだったので、やっぱり一緒に危険なところに登ったりして大人に怒られていましたね。


頬骨ちゃん:山もあるし、周りも海に囲まれていますよね。海水浴釣りをしたり?


加絵:海はでも、大人が一緒にいる時にしか行かなかったかな。一般的にイメージする遠浅の海や砂浜は無いんです。港の堤防のところで泳いだり、深いので飛び込んで遊んでいました。

子供の頃は魚が苦手だったのもあって、釣りはあまりしなかったんですよね。物心つく前に魚を沢山食べさせられたせいなのか、嫌いになってしまったんです。大人になった今は大好きですけど。


頬骨ちゃん:意外です。中学は青ヶ島の中学に通って、高校は?


加絵:高校は神奈川の女子校に通って、町田に住んでいました。青ヶ島の子どもたちは大抵、高校からは関東の学校に行くんですよね。


頬骨ちゃん:15歳から親元を離れていたんですね。


加絵:そうですね。女子校だったんですが、初めての一人暮らしで早起きができず、留年しそうになったんです。でも補習とか頑張って、先生も助けて下さったおかげでなんとか卒業できました。


頬骨ちゃん:高校を卒業後は?


加絵:進路を考えた時、学校に毎日通うのはもう無理だと悟ったので、18歳で美容系の通信制学校に通いながら美容師として就職しました。それがなかなか大変で、ほぼ毎日終電で帰っていましたね。好きな仕事だったし楽しかったので苦では無かったですけど、プライベートの時間は本当に少なかったです。それでも遊びたいから終電後に友達と横浜のクラブに行って、若いから翌朝そのまま出勤できるんですよね。


頬骨ちゃん:そのままオールで朝出勤ってできるものなんですね。


加絵:若さってすごいです(笑い)。就職先の美容室の寮が横浜にあったので、桜木町あたりのクラブによく行っていました。で翌日先輩に怒られたり。


頬骨ちゃん:めちゃ楽しそう。


加絵:うん、楽しかった。その時はがむしゃらで、暇な時間とか一切なくて。働くのも遊ぶのも必死でした。その頃の経験のおかげで、その後はどんな仕事も楽に感じましたね。7時くらいに帰れるとか、土日祝休めるということに感動してました笑


頬骨ちゃん:それが18歳から21歳くらいまでですか?


加絵:はい。美容師の職場は3年くらいで辞めちゃったんですよね。それからはちょっとプラプラして、次にアパレルの生産管理の仕事に就きました。最初は恵比寿で、次は渋谷に移転して。デザイナーのアシスタントみたいな仕事をしていました。


頬骨ちゃん:シティガール的な。都会を満喫されてたんですね。


加絵:いや、言うほど華やかではなかったと思います。そのときもまだ町田に住んでいたし、お付き合いしていた人も神奈川の地元の仲間ラブみたいな人だったので笑

彼氏の地元の仲間たちに混ぜてもらってバーベキューとか、そんなのが楽しかった記憶があります。

加絵:それで、そのころ職場でPhotoshopやIllustratorの使い方を先輩に教えてもらったんです。自由度が高い会社で割と暇な時間があったので、自分で練習する時間もあったし。とても有意義でした。自分のデザインが採用されて商品になったときは嬉しかったです。


頬骨ちゃん:なるほど、ではその職場で、今の活動に繋がるスキルが身に付いたのでしょうか。


加絵:そうですね、好きな仕事だったしそこの社長も優しくて良い雰囲気だったので楽しかったです。その後、だんだん社内が変わって色々あって辞めちゃったんですけど。

その後はネイル用品の生産管理の仕事に就いたり、職業訓練でWEBデザイナーを目指してみたり。結果的には35歳でグラフィックデザイナーの職に就きました。


頬骨ちゃん:なんだかとても華やかな経歴です。そこからどうやって、今の青ヶ島ちゃんねるの活動に繋がっていくのですか?


加絵:元々は青ヶ島に帰って暮らすことはあまり考えてなかったので今の暮らしは私もびっくりなんですけど。父が倒れたのがきっかけです。ちょうどその頃、母が民宿を建てている最中で、やっと礎ができたところだったんです。父は定年退職していたので、父が釣った魚をそのまま民宿で提供するつもりでした。真夏に倒れてそのまま帰らぬ人になり、さすがに母一人残していくのは心配で、島に帰りました。


頬骨ちゃん:ターニングポイントですね。


加絵:はい。その年の1月くらいかな、コロナが日本に上陸したというニュースを耳にしました。民宿をオープンさせたのが2月。ちょうとそのタイミングでコロナ禍に世間がざわつき始め、緊急事態宣言になっちゃったんです。


頬骨ちゃん:民宿の名前は?


加絵:「かいゆう丸」です。親孝行と思って一時期勉強していたWEB制作の知識を活かしてホームページを作りました。コーディングは難しくて挫折したのでホームページを作るのはこれが最後だと思います(笑)かいゆう丸の看板も私が書きました。

はじめの一年は緊急事態宣言が解除されたと思ったら来島自粛要請がでたりして、暇な時間が増えたこともあってYoutubeでもやるか、と思い立ちました。


頬骨ちゃん:そこで始めたんですね。


加絵:はい。じつはそれまで青ヶ島にはADSLというめちゃくちゃ遅いネット回線しか通ってなかったのですが、2020年に海底光ファイバーケーブルが開通したことでネットがとても速くなったことも、Youtube活動をする後押しになりました。


頬骨ちゃん:それはすごい文明開化ですね! YouTubeは最初からおひとりで始めようと思ったのですか? もしくは仲間と?


加絵:いえ、ひとりです。私、妄想とかが得意だから、「あれやりたい、これやりたい」みたいなことをすぐ夢見ちゃうんですよね。


頬骨ちゃん:好奇心が旺盛というか。


加絵:そうそう。今はこの「アオガミライ」というWEBメディアサイトをつくっているのですが、青ヶ島の魅力をもっと深堀りして、島で暮らす人にスポットを当てて伝えていきたいんですよね。青ヶ島の人って私よりめっちゃ面白い人沢山いますから。


頬骨ちゃん:東京にいたときはクラブ通いだった加絵さんが、すごい変わりようですよね!


加絵:そうそう(笑い)。もちろんWEBサイト運営は自分のやりたいことでもあるんですけど、やっぱり未だにYoutuberのイメージって「しょせんYoutube」と思われてるところがあると思うんですよね。だからこそ、アオガミライで青ヶ島の魅力、歴史や文化もしっかり伝えて残していきたい。


頬骨ちゃん:うんうん。


じつは時々、「どうせたまに青ヶ島行って撮影してるだけだろ。」なんてコメントがYoutubeのコメント欄にくることがあるんですよ。


頬骨ちゃん:えっ、そうなんですか? 撮影のためだけに来てるプロモーションだと思われてるってこと?


加絵:そうです。住んでるのに(笑い)。しかもめちゃくちゃ地元だし。


頬骨ちゃん:そうですよね。初見だと加絵さんの出身とか経歴とか何も分からないですからね。


加絵:再生数を上げるためだけに島に住んでる、と思う人がいてもおかしくない。


頬骨ちゃん:加絵さんが可愛いから誤解されるのでは!? アイドルみたいな…。


加絵:いやいや、こんないい年したアイドル! でも、30代になると自分のことが自分でもはっきりと分かってくるから、若い頃よりも自分の意思や好きなこと・嫌なことを相手に臆さず伝えられるようになったと思うので、それは年齢なりの魅力なのかもね。


頬骨ちゃん:普段の一日の流れってどんな感じですか?

加絵:大体朝は、民宿「かいゆう丸」の掃除をして、船が来る時間になったら、港に行って配達をして、夜は夜ご飯の準備の手伝い。19時くらいには自分の時間。
そこからyoutubeを作ったり、デザインの仕事したりとか。
ただ、船が来ない日だと全然違う。

頬骨ちゃん:民宿の掃除や手伝いって大変そうです。

加絵:私とお母さんと妹、3人でやってるからそんなに大変じゃないかな。それに6部屋しかないから。料理はお母さんと妹がほとんどで、私は配膳したりとか。

頬骨ちゃん:民宿の手伝いやyoutubeの編集、アオガミライの企画のこととか考えたりだとか。ガイドもしているんですよね?毎日大変そうですけど、純粋な疑問で休みってあるんですか?

加絵:船も来なくて、お客さんも来ない時はお休み。
あと普段でも昼間の15時くらいとか少し空くと昼寝したりとかしてます。


頬骨ちゃん:最高ですね!

加絵:最高なのよ!(笑)通勤時間もないからその分、拘束時間も短い。全部家で完結しちゃうから。民宿も家の隣にあるから、逆に全く歩かない。

頬骨ちゃん:移動する必要もなくて、自分の住居もあって、逆に困ることって?

加絵:生まれ育ったところだから、あまり困ることって思いつかない。
コンビニがなくても、物が届くのが遅くても、そういうもんだと思ってます。

頬骨ちゃん:船は毎日来るんですか?

加絵:船の運航スケジュールや天候によって変わるけど週に3〜4回くらいで、台風とかが来たら2二週間、船が来なかったりも。

頬骨ちゃん:二週間!そうなるとその間の食料は?

加絵:家族がいる人は大抵業務用の冷凍庫が家にあって、そうした時のためにある程度は備えてます。野菜とかも自分の畑で作ってたり、収穫して置いておいたりだとか。
船がずっと来てないのに、母はどこからこんなに野菜を出してきたんだろうと不思議に思うときがあります。保存方法や郷土料理の島寿司も昔の人の知恵というか。海に囲まれてるとはいえ、海が荒れていたら漁に出れないし、いつも魚が獲れるわけじゃないから、ああやって漬けのお寿司になってたりだとか。

頬骨ちゃん:島寿司ってたれに漬けてあるんですね。美味しそう。

加絵:どこの島も毎日漁に出れるとは限らないからね。だから伊豆諸島で島寿司が浸透したんじゃないかな。

頬骨ちゃん:なるほど。そういう島ならではの郷土料理の作り方なんかも、今後YouTubeで見られたら面白いかもと思いました。島で暮らす方たちは厳しい状況を受け入れながら工夫して暮らしているんですね。

加絵:でも移住者の人に不便に思うことを聞いたらやっぱり、違う目線で。
例えば、どんな田舎でも図書館があるじゃないですか。一応青ヶ島にも図書館があるんだけどあまり広くはなくて、子供の遊び場になっている面もあるので、受験生が勉強しようとしても落ち着いて集中できるスペースではなかったりだとか。そういうことを移住者の方は言ってました。

頬骨ちゃん:確かに静かな図書館って都心の方が逆に多いかもしれないですね。地方の方だと子供の遊び場になっているかも。

加絵:子供たちをまとめて見れるし、子供だけで外でバラバラに遊ばれるより安心だからかな。大きな自治体なら、学校が終わった後に子供を預かってくれる学童があるんだろうけど。

頬骨ちゃん:加絵さん的にはこう言う風にyoutubeを撮りたいんだけど、島民の人は生活や共存する上で納得するかな?みたいなことはありますか?

加絵:そうね。なにか言われそうな人はあまり映さない(笑)
人口も少ないし、ノリノリで出てくれる人は喜んで出てくれるけど、俺はちょっと…っていう人は最初から分かってるから。

頬骨ちゃん:168人全員と知り合いですか?すぐに話しが広まったりとか。

加絵:私は配達の仕事をしてるから、全員顔見知りではあるはず。仕事で来ている人でも、どこどこの仕事できてる人だよね?とかって把握できる人口ではある。何をしているのか
分からない人というのは居ないから、安心ではある。

後編へ続く。