山田アリサさん - 前編

山田アリサさんにお話をお聞きしました。
今回は前後編とで分かれており、前編では東京での劇団員時代のお話を伺いました!

今回はアオガミライのプロジェクトリーダーでもある私、佐々木加絵がインタビューさせて頂きます。宜しくお願いします!

加絵:まず、アリサさんは青ヶ島生まれ、青ヶ島育ちですが、青ヶ島でどんな風に過ごして、東京に出てからどんな生活をしてたか、教えていただいてもいいですか?
 
アリサさん:まずうちの父と母が教師で、赴任してきて知り合った。で、結婚して私が生まれた。
父と母の仕事の都合で、何回か八丈島の保育園や小学校に預けられて、1ヶ月くらい過ごしてたね。だから八丈島は馴染みがある場所だったのね。

八丈島と青ヶ島だと言葉が全然違うの。あと、すごい覚えているのが遊び方の違い。
青ヶ島ってとにかく遊び道具がなかったの。あと、遊びたいのだけど、みんな忙しくて誰も遊べない。当時の青ヶ島の子供はみんな家の手伝いの仕事をしてた。保育園もなかったから、父と母に連れられて職員室に行くわけ。職員室の端っこが私の居場所で。絵本とか読んだけどつまんないじゃん。もうしょっちゅう校庭を見て、誰かが来るのを待ってる。


たまに子供たちが集まる時があっても、その時ってとにかく遊びがハードなわけ。木に登ったりしていたけど、私は木登りが苦手だったから、たまに集まってやっと遊べるのに、みんなの遊びに自分が付いていけない。メンコとかビー玉とかもたまにあるのだけど、もうみんな恐ろしく強かった・・・ついて行きたいのについていけないのよ。
 
それが八丈島に行くとさ、着せ替えできるお人形さんが出てきてさ。ところが私はやっぱり、いつもみたいに何か途中で、青ヶ島での遊び方みたいになるんじゃないかって思うんだけど、結局ただお人形さんごっこして着替えておしまい。ままごともそうなの。「本当にこれだけなんだぁ」と思って。青ヶ島もこういうソフトなのないのかなって思ってた覚えがある。
 
だからなんとなく一歩外に出れば違うっていうのは分かってたのだけど、とにかく私が考えたのは、「早く脱出したい」っていうこと。だから、中学を卒業するのを本当に待っていたし、なるべく遠くへ行きたかったし、とにかく全然知らない人がいるところへ行きたかった。だから青ヶ島を出た時はもう本当に吠えたくなるぐらい嬉しかった。
 
加絵:嬉しかったんですね。
 
アリサさん:うん。新宿とか歩いている時に、もう会う人会う人が知らない人で、「この中の誰も私を知らない」っていうのがすごい嬉しかった。
 
高校は寮の学校だったから、青ヶ島にはいなかった同級の女の子たちと喋ると、「こんなに感じることって似てるの!?」って、すごい感動したの。テレビでみていたような女の子同士のコミュニケーションがあって、「わぁこれかぁ!」と思って。すごく楽しかったなぁ。
で、やっぱり自分の喋り方とか、引っ込み思案だったり臆病だったりとか、そういう自分を変えたいと思っていたから。自分なりに友達の喋り方を真似たりして、練習した。
 
カルチャーショックが結構あったな。1年も経たないうちに、今度は自分が何をしたいかわかんなくなっちゃったの。とりあえず青ヶ島から出ては来たものの。今はあんまりそういうことないけど、昔って東京に近い方から遠い方を馬鹿にしてくような風潮もあったから、島出身を馬鹿にされたこともあって。
そんなこともあったから、外国に行ったらそういうのないのかなと思って、学校のシステムを使って高2の時に休学して、オーストラリアのパースに行ったの。

1年間すごく楽しかったんだけど、結局オーストラリアはアメリカとイギリスに劣等感を持っていて、ニュージーランドに対して馬鹿にしているような風潮も個人的に感じたことがあって・・・、「なんだ、大なり小なり、深さとか大きさは違うけど、世界どこ行ってもこういうのあるんぁ」だと思ったら、島の出身であることを気にしなくなった。
 

あと何かとにかく覚えているのが、私の小さい頃って、やっぱり船がなかなか来なかったり、来ても戻っちゃったりしたから、バナナって黒かったのよ。黒かったの。それが東京行って、綺麗な黄色いバナナと出会ったわけ。ちょっと警戒したんだけど、食べたら「あぁなるほど」と思ったわけ。そしたら今度オーストラリア行ったら、緑色のバナナがあったの。私は、黒いと思ってたのが黄色だった、黄色だと思ってたら緑だったんだと思って、ガブって噛んだら、これは本当に食えたものじゃなかったのね。これって結構カルチャーショックだった。
 
加絵:高校を卒業したら就職したの?
 
アリサさん:短大に行った。短大の2年目で文学座っていう演劇の養成所を。受験して受かったの。1年通って、次のステップに進むための選考から漏れちゃったの。それで私、その時に「やっぱりお芝居やーめよう」と思って一旦青ヶ島に帰ってきた。そしたらその時に養成所で一緒だった友人の父親が新しく劇団を作ったって聞いて。見に行ったら、本当に脳天カチ割られるぐらい面白かったの。そのまんまその劇団に居ついて芝居の修行するようになった。
 
加絵:それは何ていう劇団?
 
アリサさん:こまつ座。それも面白かった。
 
加絵:バイトとかはしていたんですか?
 
アリサさん:そうだね。そうだね、ただ親が買ったマンションとかがあったから、そこに住まわしてもらっていたの。だから生活は多分少し楽だったと思う。
 
加絵:お芝居でお金稼げてたんですか?
 
アリサさん:舞台に出ればね。出れば稼げていたんだけど。ただお芝居って、舞台って、2ヶ月なの。1ヶ月は公演ね、1ヶ月は稽古なの。だから1ヶ月分しかサラリーはないわけ。その稽古中のお金っていうのをどう工面するか、っていう感じだったかな。

 
私が脳天カチ割られるくらい面白いと思ったお芝居は、『頭痛肩こり樋口一葉』っていって、島に帰ってきた時に、「これはやっぱり島のばあちゃんたちに見せたいな」と思って、自分でやったの。
 
加絵:連れてきたんですか?劇団を…
 
アリサさん:ううん。青ヶ島にいる人たちでやったの。衣装だけは本物を借りて、音も本物の音を貸してもらって、体育館でやったんだけど、ただやった日がものすごい豪雨でさ、「台詞聞こえたかしら」っていう感じなんだけど、でもやったの。
 
加絵:劇団を何年やって、何歳で青ヶ島に戻ってきたんですか?
 
アリサさん:35歳くらいで戻ってきた。東京で一緒に住んでた母が死んだの。死ぬちょっと前ぐらいから介護が必要になっていたから、母の年金と私が派遣とかで働いて稼いだお金で、ヘルパーさんとか全部工面してた。そういう暮らしで、1年ぐらい芝居やってなかったんだよね。もう生活するのに必死だった。でも自分もそれでいいやと思っていたし、母が亡くなった時に「もうお芝居はやらないんだから東京にいる意味もないな」と思って。東京にいたのはやっぱり芝居やるために居たから。

青ヶ島の家の片付けをして、東京のマンションは人に貸してどっか行こうと思って、いったん青ヶ島に帰ってきた。それに、母とは東京のマンションで暮らしていて、一緒に食事をしていたテーブルでは悲しくてご飯を食べられなくなってしまって。でもこの島に着いたら、なんかやっぱり空気の中に父と母がいる気がした。私が23歳の時病気で亡くなった父も、母も、2人とも本当に青ヶ島に帰りたがっていたから。青ヶ島の家を掃除したりすると、2人が喜んでるっていう気がしたの。ここが一番お父さんとお母さんに近い場所だと思ったから帰ることにしたのかも。帰ってきて、まぁそんなこんなで結婚しちゃったんだよね。
 
加絵:結婚!
 
アリサさん:
夫も青ヶ島の人だったけど、共通の友人がいて。その友人が病気になっちゃって、そんなきっかけがあって話すようになったんだよね。元々2年先輩だから知ってはいて、「何考えているか分からない人だな」と思ってたんだけど、そのうちにひょんなことから付き合うようになって。2人で出かけたりすると人の噂にもなる、そういうのが嫌で、さっさと一緒に暮らすことにしたから、結構すぐ結婚したかも。


あと、島に帰ってきて思ったのは、青ヶ島の食べ物を食べると細胞が喜んでいる感じがした。その感じって私初めてだったの。だからひょっとしたらちっちゃい時食べたせいかもしれないんだけど、でも東京でだって私別に食べ物に不自由してたわけじゃなかったのに、「なんなんだこの血が喜ぶ感じ」って思ったんだよね。青ヶ島のことは嫌だったよ。帰ってきたくなかったけど、なんかその胃袋とか血とか、あとはここの空気に癒された感じがしたんだよね。多分夫もあんまりこの島を好きじゃなくて。多分ね、本人はね、「今はちょっとここにいるだけさ」みたいな、そんな感じがずっと延長してたんだと思うの。やっぱ青ヶ島の昔の人って、「ちょっといて島から出る、また戻ってくる、そのうち段々青ヶ島から出なくなる」っていうタイプの帰り方が多い時代もあったみたいね。夫もそんな感じで、いつかは島から出たい思いが強かったみたい。
 
結局離婚したんだけど、離婚の時も他の時にも、岐路に立つたびこの島に居続けるかどうするか、そのたんびに考えて、残ることを選んできたっていう感じかな。思っていた以上に私の中に青ヶ島に対する愛情があったことがびっくりっていうか。その愛情が時々恐ろしいんだよね(笑)。
 
加絵:私もそんな感じかも。いるうちに段々愛情が湧いてくる。あと、島に貢献したら、人口が1人増えたとか、誰かが参考になって助かったとか言ってくれて、目に見えて返ってくるからいいのかな。
 
アリサさん:狭くて、やっぱり凝縮されてるからさ、ここはさ。一つ一つが濃いじゃん。だから2、3日来てたまたま来てた人が、例えば飲み屋で地元の人にきついこと言われたりとか、そんなんですごい悪い印象のまま帰る人もいるかもしれないけど。でも人によっては余所行きじゃない、そういう生の生活やストレートな付き合いができるのが、いいっていう人もいるかもね。