廣江寛さん-③

一部二部と濃い内容だった廣江寛さんのインタビューもこの三部で最後です。
東京での生活を経て、島に戻りなぜ移住のサポートをするのか、これまでで一番辛かった出来事、将来の夢をうかがいました。
一部はこちら
二部はこちら

実家の元民宿、アジサイ荘にはいつ戻ってきたのですか?

戻ってきたのは2年前だけど、新しいアジサイ荘を作る手伝いにはその前からずっと来てて、泊まってたりしたね。
島に戻ってきたら、「サウナの管理人をやってみないか?」って声をかけられて、ちょっとやってみようかなっておもったんだ。
もう東京の仕事も疲れたし。お金も無理に稼がなくてもいいかなって思ってさ。
それでぼちぼち現在に至る様なもんだ。

今もアジサイ荘を改装していると伺いましたが?

建物って使ってないとダメになるわけよ。
住みながら、家に空気を入れる様にしたいなと思って。
それに兄弟もたまに帰ってくるから、そういう時の居場所。
カミさんたちは向こうで生活してるけど、全然問題ないから。

アジサイ荘の本家は?

元々はお袋がずっと北海道から出稼ぎや仕事できた人たちを、まかないつきで泊めたりして。
でもお袋が30年前に倒れてから、ここはほとんど使ってなくて。
団体で仕事に来ているとこに半年や1年貸したりとかしてたみたい。

青ヶ島に移住したい人に対してサポートをしていますが、はじめたきっかけは?

島に働くとこを作って人を増やしたいなって。
これからまだ先の話だけど、牛を飼ったりしいたけ栽培とか、これからくる人がちらっと言ってたけど船を持って何かやりたいとかのサポート。
住宅を借りられる様になればいいんだけど、青ヶ島に空いている住宅が中々ないから。

なぜ青ヶ島の人口を増やそうと思ったのですか?

人口が少ないと自治体として成り立たないんじゃないかと思うんだよね。
とにかく近い将来、早期に200人に増やしたいと思うね。
200人の時代は結構長かったんじゃない?
俺がいた頃は350人くらいいたけど、それから20〜30年で200人になったわけでしょ。
何年か前に日本一ちっちゃい自治体なんて競い合ってた時代がずっと続いてたわけだよ。
それが今や160何人でしょ。
俺らの時は同級生が9人いたけど、今は1人だとか2人。
一番下の妹も同級生は1人だし。
弟たちも同級生が2人で、ずっときてるわけだよ。
勉強も同級生が多くないとダメなのよ。
どうしたって、世の中競争しなきゃならないから。
9人の同級生の中でも競争心はあったんだよ。
この間うちの兄貴が言っていたけど、「1人の時はいつも1番でいいんじゃないのか」って言ってるけど、そういう問題じゃないんだよ。
競争心を持って勉強して、高校にしても、東京での仕事でもある程度いいところへ行かないと。
就職で試験を受けるにしても、勉強がダメな人はやっぱ取り残されちゃうでしょ?

この他にも青ヶ島の今後の未来とか、こういう風にしていきたいというイメージはありますか?

牛を飼うのが一番手っ取り早くて間違いないんじゃないかってね。
昔、島で牛を300頭以上飼っていた時代があるわけだよ。
うちも4匹ぐらい雌牛を飼って、育てて、荷物運びにも使ってたんだけど、その子が子牛を産んで、半年くらい育てたら出荷するわけだよ。
その当時は幾らしたかは知らないけど、今だと大体50万円以上。
うちなんか兄弟が多いからなんだけど、中学校を卒業するとか、ものを買ったりでお金が必要だなと思えば、その牛を売ればお金になるわけだよ。

そのためにもどのうちでも3〜4頭は飼っていたね。
ほとんどの家は牛小屋を持ってて。
だから島でトータルすると何頭かは知らないけど、俺が中学の時で各家庭で4頭ずつ飼ってれば、島には300頭くらいいたはずだよ。


島で牛を飼う条件は揃ってるんですね。

今じゃ内地から牧草を買っていたりするけど、餌になる牧草は島には無尽蔵に生えてるんだよ。
その代わり崖とか険しいところに生えてるから、取るのはけっこう大変。
それに俺なんか64歳だから、牧草を担いで険しいところを上るのは大変だけど、若い人たちならできるんだよ。
ただ、牧草の刈り方や牛の育て方とかわからないから教えたいと思うね。
生き物だから365日休み無しで面倒見ないといけないけど、島には牧場があるし、そこで育て方を1週間くらい学べば、世話の仕方は分かるようになるんじゃないかな。
それで世話ができる人を増やせば、交代で休みを取ったりもできるじゃん。
俺結構テレビ好きで移住番組は必ず見るんだけど、牛飼ってるのとか野菜育てて出荷したり、担い手がいないとこにさ、若い夫婦が行って移住してるところもあるよね。
それに興味のある若い人たちがいれば、協力してさ。
実際うちのおばあちゃんが牛を飼っていたけど、高齢で辞めてんだよ。
それで牧場だって空いてるわけだから、若い人に来てもらって使ってもらいたいな。

今のうちに募集しましょう。

地方移住で牛を養いたい人、いつでも歓迎しますみたいに、それを村が積極的にアピールしたりとかさ。
アオガミライもそうだけど、もっと真剣に考えている人がいないと進まない。
さっきも言ったけど牛ってさ、はい飼いましたで、すぐ金になるわけじゃないんだよ。
半年育てて、子牛になるまではお金は一銭も入らないわけだよ。
でも牧草にはお金を払わなくちゃいけない、牧場を借りるならそこに幾らか払わなくちゃならない。
資金面で体力がある様な人でないとダメなわけ。
地方への移住番組をみると、ほとんどの自治体が協力して年間300万くらいを最初の3年間は補助して、3年後からは収入が入るから補助を少し減らしてってことをしてる。
そういう風にしてくれれば、青ヶ島にもやりたいって人もくると思うよ。環境的にもいいんだから。


俺も仲間になってるアオガミライで考えても、役場や自治体がちゃんとやってくれなきゃ動きようがない。
ある程度資金がある人がやってみたいって来ても、こっちにも人を2〜3年雇えるぐらいの資金の余裕がないと無理だよ。
俺も家を直すのに金かかってるからさ。それを返さなくちゃいけないし。
宝くじでも当たれば一番いいんだけど、そう上手くいかないし。
そのためにもってloto6買ってるんだけど中々当たらないんよ(笑)

買ってるんかい!(笑)

買ってるよ!八丈島に行った時には必ず買ってるんだから。
でも中々当たらない。
宝くじにしろお金に余裕ができたら、俺は間違いなく即実行に移しますよ。
だって2〜3年、人にお金を払うぐらいの余裕がないとさ、やってもらってるのにお金を払えませんってなったら、その人が生活ができないじゃん。

話は変わりますが、生まれてから今までで一番辛かった思い出って何かありますか?

辛かったことを思い起こせば、新聞配達が辛かったよ。
青ヶ島みたいに一軒一軒が離れてればいいけど、都会に来ていきなり、おんなじ街並みの住宅街に家がいっぱい繋がってて、あれ?この家に新聞入れたっけかな?って思いながら自転車で300軒回るしさ。
4月の東京で、何十年に一回の大雪が降ったんだよ。
そん時ほんとうに寒くてな。普通は長靴を履くけど、ここ南国だからあったかいわけじゃん。
雪って分かんないから運動靴で配達してたんだよ。
そしたら雪のぐちゃぐちゃしてるとこに入っちゃって、足が冷たくてさ。
自転車での配達は寒いしさ、自転車をほっぽって学校も辞めようと思ったのが一番辛かった時かな。
他の子達は普通に学校に行ってるけど、なんで新聞配達してまでも学校行かなきゃならないのかなって思った時がそれが辛い考え。
なんでかってさ家にお金がないからさ。
俺の同級生なんかは親から仕送りしてもらって学校行ってたやつがいたからさ。
やっぱそうすれば高校生活も最初は楽しかったかもしれない。

この時、朝刊を配ってた時におばちゃんがね親切な言葉をかけてくれたんだよ。
ごくろうさん。がんばってね」って。
それであったかい気持ちになって、頑張んなきゃなと思って。
「辛い、辞めたい」ってなったのは人生の中でそれだけだな。

これを乗り越えてきてるから、この後色々な仕事をやったけど、辛い辞めたいとかはなかったな。
生きるためには働かなきゃならんしさ。



青ヶ島の普段の1日で、サウナなど含めて1日で一番楽しい時間って何?

楽しい時間?毎日楽しいんじゃない?(笑)
だってストレスがないから。
頚椎の手術以外にも、ゴルフボールぐらいの石を3つを取り出す手術を受けてるけど、それは東京でのストレスだから。
そりゃなんでストレスになるかっていったら、毎日時間に追われて仕事しているから。
電車でもそうでしょう。何分の電車やバスに乗らなきゃ仕事に遅れるとか。
車で走ってればさ、渋滞が起きてさイライラするじゃん。
それがみんなストレスになる。病気の元だよ。
だけど島にいたら、みんなのんびりしててストレスなんてないもん。
毎日楽しいから一週間が長く感じ、1ヶ月が長く感じ、8月だって終わらない。
まだ5日か6日あるけどさ、ええ?こんな長いの?って思うよ。
向こうじゃあっという間。もう日曜日が来た。休みだと思ったら次の日はもう仕事。その連続だから。
青ヶ島はそういうのまったくない。

移住して生活の基盤がちゃんと育った人は、間違いなくストレスや病気もなくなると思うよ。薬も飲まなくていい。
ただ、俺なんかは東京での生活で血糖値が高くなってるからさ。薬を飲んでるけれども。
そういうものがなくても普通になるんじゃない。
うちのお袋は94まで生きてるけど、もっと明日葉や自然なものを食べてたら寿命が延びるんじゃないの?
別に食べるものがいっぱいあるからさ、明日葉なんか今食わなくなっちゃってるもん。

青ヶ島はいつでも楽しいって素晴らしいですね

だって港へ行ってみなよ。船が遅れたって誰1人文句を言わないで、ぼーっと立って見てるよ。
カリカリしてる人はいない。時間に遅れたって早くきたって。
東京じゃ電車が遅れたら怒鳴りつけたりするやつだっているし。
水道が出なくなりゃ、水道代を払っているのにとか文句をいう人もいるけれど。
そういうもんだよ。

テレビが映らなくても誰も文句を言わないしね。

言わない。そういうもんだと思ってるけど、でもテレビが映んないのは困るよね。
これは切な願いで早く直して欲しい。
だって相撲見てる時に映像が止まっちゃって、動画を見てる様なもんだもん。
日曜日は笑点が楽しみで見ているのに、途中で見れなくなったりだとか。
あの時間になると4チャンネルとNHKが映らなくなるのはなんなんだろう。

今の時期はよくなったけど、5〜7月は最悪だね。
霧はすごいからヘリはこないし、新聞が9日もこないんだよ。
役場に新聞が置いてあるけど、ずーっと取らない人もいるよね。
なんのために取ってるか知らないけどさ。
俺なんか毎日、新聞見たいもん。東京でずっとそういう生活をしてたからさ。

俺は2年前にきたけど、毎日楽しいし、不便に感じないよ。
島にずっといる人は、生活の一部だから楽しいとは考えてないかもしんないけど。
たまにみんなで集まって楽しく飲む機会もあるし、それはそれで楽しみもあるし。
いいとこだと思うよ。

最近1つ思うことは、もうちょっと大きい島だったらよかったなとも思うんだよね。
でも、青ヶ島は小さいからいいかもしれないけどね。
もうちょい大きい島だと生活が変わってたんじゃないかなと思うよ。
タブレットでさ、他の島や地方のニュースだったり、地図を見るんだよ。
日本に6000いくつだっけ?そのぐらい島があると言われてるけど。
中にはものすごく立派な港を持ってるとこもあるんだもの。
立派な港を持ってるけど、生活しているのは何人しかいない島とかもあるじゃん。
青ヶ島はみんな一生懸命生きてるんだから、もうちょい港をちゃんとしてくれればね、もっと違うんじゃない?
魚釣りにも本格的な漁にも行けるけど、船の上げおろしが何時間もかかるし、1人で出るのも大変だから本業にはしきれないよ。


まず手始めに牛でもうちょっと大きい島を作ろうか。

牛をとにかく育てて、出荷できるまでの体力がある人がきて欲しいね。
なんだっけ?お金をだしあってやるやつがあるじゃん。
それは君たちが立ち上げられるんじゃないの?

クラウドファンディングとか?

お金は銀行や信用金庫とかが貸してくれないからさ。
現実問題、何かやるにしても資金がどうしても必要になるし、何か担保ができて信用金庫が1000万か2000万貸してくれるなら今すぐやりたいよ。
2年後に金ができる保証はないけど、多分できるわけだよ。
地方はみんなそういうのをやって移住してるんだからね。

最後にゆたぽん自身の夢を教えてほしいです

俺はここで、土曜日に西田敏行と菊池桃子がやってる番組「人生の楽園」に出たい。
島に帰って楽園を作りました。こういう人もいますよって出たい。
あれに出る人はみんな、俺くらいの年代の人が出るんだよ。
見たことない?見てみな?いい番組だよ。俺毎週見てるから。
みんな田舎に帰って、パン屋さんやコーヒーショップを開きました。牛を飼いました。さくらんぼ畑を借りましたとか。
それを特集で毎週。BSで再放送もやってるから、それもほとんど見てる。
あれに出たいね。
5チャンネルかテレビ朝日に取材が来る様に言っておいて。
だっていい番組だし、俺もそういう風になりたい。
移住してさ、島やみんなを活性化させた人。
例えば牛を10頭飼って、それが50頭になってみな?金額が半端ないじゃん。
うまいこと軌道に乗れば、自然と来たい人が来る。



三部にわたってお送りした廣江寛さんのインタビュー。いかがでしたか?
島と東京での生活と酸いも甘いも噛み分けたからこそ出てくる、島を発展させるためのすぐ始められるアイディア。

もう少しみんなの時間や心にゆとりがあれば、ストレスが少ない生活ができるのではと常々思います。

島で牛を飼いたい人、はたまた違う何かをやりたい人を募集しています。
廣江寛さんの人生の楽園への出演オファーをお待ちしております。

次回は青ヶ島村議員でもあり、島の玄関でもある三宝港で働く佐々木祐治さんにこれまでのこと、いまのこと、みらいのことをお送りいたします。